「お母さん」じゃなくなった私へ ― 空の巣のさみしさは、次の章の始まり ―
- Takuya Oyashiki
- 1月10日
- 読了時間: 3分
こんにちは。
子どもが巣立ったあと、
ふと立ち止まって、こんな問いが浮かんだことはありませんか。
「私はこれから、何者なんだろう」
53歳・専業主婦のみどりさんも、
まさに同じ戸惑いの中にいました。

自由になったはずなのに、虚しい
最初は、
「少し自由になったかも」
そう思ったそうです。
時間に追われることも減り、
自分のペースで一日を過ごせる。
けれど、ある日ふと、
言葉にしづらい虚しさが押し寄せてきました。
食卓に並ぶ量が減ったこと。
洗濯物が少なくなったこと。
頻繁に届いていたLINEが、ぱたりと来なくなったこと。
「あったはずのものが、急に“ない”」
その感覚が、
胸の奥にぽっかりと穴を開けたようでした。
「寂しい」と言えなかった理由
みどりさんは言います。
> 寂しいって口に出すのが、
> なんだか情けない気がして。
子育てが終わったのだから、
前向きでいなければ。
いつまでも母親気分ではいけない。
そんな“無言の正しさ”が、
自分の気持ちを押し込めてしまっていたのかもしれません。
それは「喪失」ではなく、証でもある
ここで、ひとつ問いかけてみたいのです。
その寂しさは、本当に「弱さ」でしょうか?
母という役割に、
それだけ心を注いできたからこそ、
簡単に切り替えられない。
それはむしろ、
大切に子育てをしてきた証だと考えることもできます。
情けなくなんか、ありません。
「空の巣」は、終わりじゃない
よく「空の巣症候群」と言われますが、
この言葉はどこか
“終わり”の響きを含んでいるように感じます。
けれど、こう捉えてみたらどうでしょう。
> 空の巣のさみしさは、
> 次の章の始まり。
役割がひとつ終わっただけで、
人生そのものが終わったわけではありません。
むしろ、
これまで後回しにしてきた「自分」に戻る時間が
ようやく巡ってきたとも言えます。
急な変化に、心が追いつかなくて当然
長年「母」であり続けてきた人が、
突然「自分自身」と向き合う。
それは、
環境としても、心としても、
とても大きな変化です。
戸惑うのは自然なこと。
客観的に状況を捉えられなくなるのも、無理はありません。
大切なのは、
「早く立ち直ろう」と急がないことです。
今日からできる、ひとつの小さな提案
みどりさんにお伝えしたのは、
とてもシンプルなことでした。
毎日、手帳に
「よかったこと」「うれしかったこと」を
書いてみませんか。
ほんの一行で構いません。
・天気がよかった
・お茶がおいしかった
・誰かと笑えた
隙間時間に、
「今日、これよかったな」と思えたことを書き留める。
それだけで、
こうした気づきが生まれてきます。
「あ、自分のまわりにも、ちゃんといい出来事はある」
失ったものではなく、
“いま、ここにあるもの”に
少しずつ目が向くようになるのです。
新しい人生は、静かに始まっている
何か大きな目標を見つけなくてもいい。
すぐに「次の役割」を決めなくてもいい。
まずは、
自分の一日を、丁寧に感じ取ること。
そこから、
新しい人生の輪郭は、
自然と浮かび上がってきます。
もし今、
「お母さんじゃなくなった私」に
戸惑いを感じているなら。
それは、
次のステージに足を踏み入れた証拠です。
急がなくて大丈夫。
あなたのペースで、
新しい章を開いていきましょう。


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